1996年 出会い


高さ3メートルはあろうかと思われる重く大きな鉄の扉を開くと、それまで真っ暗だった部屋に 初夏の西日が差し込む。
扉から落ちる塵が日差しにきらめく。
電灯のスイッチに手を伸ばすが、それでも中は広く、薄暗い。
長期間入れ替えられる事のなかった冷たい空気が漂う内部に足を踏み入れる。
その片隅に彼女は佇んでいた。
白い布に覆われて。
震える手で布を取り払うと、信じがたいほど艶やかな肢体が露になる。
想像するより遥かに小振りだがグラマラス。
求める形がここにある。
もっとも多くのオプションが用意されていた時代の、究極のアイアンと呼ばれる1969年製のVette である。
ただ、ここにいる彼女はただ者ではない。
その仕上がりは、おそらくほとんどの日本のVette Maniaの想像を絶するものであろう。
27年を経過して未だオリジナルのままに保たれたボディーは、
前オーナーの菊池氏の趣味の良さ と何よりもVetteへの理解の深さを示している。
ただし、エンジンフードはECKLER'S製のL-88デザインのものに変更されている。
当然、その下には純正のエンジンフードでは納めきれない強心臓が隠されている為である。
しかし、このボディーの秘密は、少なくとも1度は3rd ジェネレーションモデルのオーナーに なったことのある人物が
その手で触れたときに初めて解くことができるほど難解である。
菊池氏はACコブラ並みの車体重量を実現するために、重いFRPのボディーを削ぎ落とし、
結果的に 約200kgの軽量化を実現したと言う。 従って、ボディーの反響音がノーマルのそれとは異なる。
また、日本屈指の腕前を持つ職人によって仕上げられた塗装は、塗料にポルシェの黒と同じものが 用いられ、
ベースがFRPであることが信じがたいほどの深い光沢を放っている。
HollyからBig-blockへ大量のガスを送る儀式の後イグニッションキーをひねると、爆音と共に彼女 は目覚めた。
彼女の心臓は、アメリカのあるレースエンジンビルダー(この会社の名誉のために社名は明かせな いが)によって、
後にも先にもただ一度だけのストリートエンジンの作成と、念を押された上で、 供給された代物である。
作成を承諾したこの会社は、菊池氏に対して車重やサスペンションの仕様、
またこれから作成しよ うとしているエグゾーストの仕様、更に使用目的や要望等の資料の提供を求めたと言う。
こうしてできあがったエンジンは、詳細は不明であるがブリッピング時の恐ろしいほどのレスポンス と、
全く無駄のないメカニカルノイズから、完全にバランシングされたものであることは容易に想像 がつく。
実際、菊地氏が512TRとのバトル!に熱くなりすぎ9000RPMまで回してしまった時も、エンジ ンには何の異常も発生しなかった。
(2度と手に入らないエンジンであることを思いだして、 クールダウンしたらしいが…)
7リッターエンジンの巨大なピストンが、いったいどうしたらそのようなピストンスピードになるのか、できることならこの目で見たいものだ。
インテークマニホールドにはEdelbrockのTorkerURのダイアゴナルモデルが、
エグゾーストには排圧 調節のため何度も作り直されたスペシャルがそれぞれおごられている。

ちなみに、チューンドVetteと言われる車の中によく目にするのがサイドマウントヘッダーであるが、
これを装着すると明らかにパワーダウンすることを助言しておきたい。
しかも、クロームアプライの ものではさらに放熱性にも欠ける。
前後するが、排圧から見て圧縮比は11:1程度と考えられる。
尚、このエンジンの入手にあたってはガレージ・フジの取次氏に全面的に協力していただいた。
サスペンションもアッパーアームやブッシング、アンチ・スウェイバーを含め、それこそ幾度となく 組み直された結果であるが、
GSとRancho、Bilsteinのパーツを組み合わせて作成して結論を出した 力作である。
トランスミッションにはDoug Nashの5速が組み合わされる。  
この他にも、注目すべき点はいくらでもある。
しかし、もっとも重要なことは菊池氏の車造りが奇をてらった改造ではなく、
Vetteにとってやるべ きことをやっているにすぎないと言う事実である。
素人がVetteに手を出して、不細工なオーバーフェンダーやエアロパーツを取り付け、
極太のホイール を装着してマフラーを換えるのとは次元が違う。いや、比較することすら失礼である。
例えば、ロッカーパネルは取り付けられていない為、両脇からはフレームを覗くことができる。
また、27年前のパーツをそのまま取り付けてあるシートに腰を下ろすと、
センターコンソールのラジ オがあるはずの部分が空洞になっている。
前者は、ジャッキアップ作業にじゃまな為であり、後者はそこにゲージ類を追加する予定であった。
「ボルトを締めれば取り付けられるパーツは、いつでもいいじゃないか。」私も菊地氏と同意見である。
やるべき事は、他にあるのだ。
いずれにしろ、ボディー、エンジン、サスペンションの全てにおいて研ぎ澄まされたこの作品は、
「アメ車」と言う言葉の持つイメージとはかけ離れた存在に仕上がっており、当然乗り手の腕前も厳し く吟味されることになる。
いや、この作品はむしろアメ車とか車というジャンルのものではなく、日本のVette史に残る芸術作品 なのである。
目覚めた彼女は、圧倒的な存在感と共に周囲の空気を震撼させる。
その強心臓がゆえに小さなボディーを震わせながら佇む様は、まるで少女が何かを待つ姿のようにも映る。
菊池氏はこのKeyを私に譲ると言う。
毎日、彼女に鞭をくれてその走りを堪能すべきか、あるいはどこかに幽閉して眺めて暮らすか。
いずれにしろ、もう一つガレージが必要なことは確かだ。
29/7/1996  猛烈な暑さの中、200リッターのガスを飲み込み600kmを走破 した彼女に対し、東大阪のガレージで新たな改善を開始。
15/1/1997  Vetteでは日本一のチューナーのもとで、本格的なエンジンデータの採取及びチューニングを開始。



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